特別奉修委員会(昭和44年1月19日)




 お料理の上手な人は、もう必ずその、お料理に使う道具と云うか、所帯道具と云うか、特に刃物ですか、包丁とか。ね、また「新包丁?」なんか。特にあの、きれいにすると言われております。もう包丁がきれいで、所帯道具が、食器類がきれいに片付けられてあったり、きれいにしておるってな、まあ、必ずお料理が上手だと、まあ言うても良い訳ですね。きれいな人は、必ずその人の座る前の鏡台が、いつも整頓されてる。もう、引き出しを開けても、ちょっと整然として、まあ、してあるようですね。私に、そんなもんだろうと思います。それは、きれいになる為には鏡台がなくても、「白粉?」がなくても、道具があちらへ散らかしておっても良いようなもんですけれども、本当にあの、きれいにしておこうと、いつも自分が美しゅうなろう、美人になろうと心掛けておる人なら、必ずその、そういうような、鏡台なら鏡台の周囲をきれいに取り片付けたり、その、小引き出しの中までが整頓してあると、まあ、私は思いますね。まあ、その証拠に家の家内の鏡台なんか見てから、いつも私が整頓してやるくらい。もう、きれいでない者は、確かにそうのごたるです、ロクのなかです。まあ、自分の顔ばっかりその、かまっておられんと云うのかも知れませんけれどもね。そういうな事から言える事はね、あの信心をさせて頂く者。ね。信心を手厚う、はあ、ここは信心が手厚う出けとるなというところは、必ずお神様がですね、きれいにお祭してあります。必ずお掃除が行き届いております。ね、例えばね、金光様の御信心をさせて頂いて、そして自分のお家にでも神様でもお祭しようかというほどしの人は沢山あるけれどもね、本当に信心を手厚う出けておる所には、もう必ずお宮が、お神様が、お神所がきれいにしてあります。ね。もう三宝は右向け、左向けしておる。掃除はいつしたじゃ分からん。ね。お榊は枯れとるというような人がおってです、どんなに口にその人が立派な、例えば信心話をしたところでですね、それは、私は決して良い信心じゃないと思うですね。そう、良い信心すりゃするほど、そうしなければおられんのです。信心がもちろん好きにならなければ良い信心は出来ませんが、信心が好きになりゃ、そうしなければおられんのです。そういう意味で、私は子供の時から信心が好きだったと思うですね。お神様を掃除するとは、とても好きでした。あの、椛目が、ああして皆が、皆さんが集まられるようになられる前は、私が小学校の2~3年ぐらいの時に(しこう)で作った、あの(しこう)で作りましたのをね、神様と御霊様のお掃除をする、その、たたきを二つ作っておった事です。それを、もう何十年か椛目では使っておりました。白のケースばね、竹をあの、「女の方達に?」こう根を、根のついた、こう、でこちらが霊神様、こちらが神様。で、あの白ですから、それを洗ってはまた使い、洗ってはまた使い。それが何十年間、これは私が子供の時に作ったというのを、椛目では使っておりました。ただその、皆さんの、例えば、んなら、特別奉修委員と。ね、まあ特別の熱心な人達の、まあ、集まりが、皆さんのこの特別奉修員ですが。皆さんの中にはそういう、おそらくないでしょうね。好きであるし、または信心も、まあ、言うならば合楽で出けておられる方達ばっかりですから。ね、けれどもただ、おかげを頂く為だけに拝んでおると云ったような、本当に信心が好きと云うのじゃない(から?)ですね。、あの、やはりあの、他のところのお掃除は出けなくても、御神前だけはね、もう何時御神前に出ても有り難く御祈念が出けるような、いわばそこは場なんですから、きれいになさらなきゃいけませんし、はあ、自分の信心が好きとか、信心が自分では熱心と思うておるけれども、まあ、自分は、まあだこんなに疎かだなといったような事をです、そういうな事から、一つ気付かせて頂いて。いよいよ信心が好きにならなきゃいけない。ね。いよいよ美しゅう、美人になりたいという人は、まず、まあ化粧品を選びもしましょうが、なら、鏡台なら鏡台の前は必ず整頓してある。小引き出しの中までがきれいに、確かに整頓してあるだろうと私は思う。その日、その日への勝手口を見てです。ね。例えば、包丁がいつもきれいにしてある。食器類がいつもきれいに磨き上げてあるという家になら、必ずそこの奥さんは、もう料理が上手であり、美味しい物を家族の人たちにいつも食べてもらっておる家庭だと私は思うですね。私はそういう心掛けがね、信心をさせて頂く者が、だんだん出来ていき、備わって来なければいけないと思うですね、どうぞ。